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あじわい館でたん熊北店の料理を習うたあとは、島原界隈を散策&見学。まずはシンボルとも言うべき揚屋(芸妓を呼んで酒食を楽しむ茶屋)の角屋へ。銅の樋から手前が最初に建てられた当時のまま残されているそう。文化財団の理事長が直々に説明してくださり、一同興味深く見学させていただいた。

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正門はふさがってるので、勝手口から見学するようになっている。
なので見学の最初は台所。見事なおくどさんは、150人のご飯が一度に炊けるそうである。

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火袋も立派。釿(ちょうな)でけずった梁の太さも明かり取りも隅々まで美しい。

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衝立の透かし彫りは家紋。割らんと彫るのは大変やったろうな。

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箱階段も。我が家にも欲しかったが、あいにく普通の押し入れ階段であった。

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30cm近くある太い大黒柱の上には布袋さん。

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神棚の前には神社のような吊り灯籠と注連縄。

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台所の隅には西郷隆盛が行水に使うたたらいが置いてある。先の戦争(応仁の乱ではないww)で空襲に遭うたときの延焼を防止するため、山陰線に横にある木造建築が取り壊されることになった。ところがこのたらいがあったが故に、明治維新の激動を物語る貴重な遺構だとして取り壊しが延期になったそう。ほどなく終戦を迎え、建物は重要文化財に指定された。ぼろい家庭用品であるが、これがあったからこそ江戸期の素晴らしい建築が残されているのだ。たらい、ほかさんで良かったねぇ。とはいえこのたらい、西郷さんには小さかったん違うやろか。

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台所の奥にある大広間、網代の間。天井が網代になっている。釘隠しは縁起の良い宝尽くしである。しかしこの天井板が薄いので、2階の青貝の間は危険だとして、現在は公開されていない。壁面や天井などの細工がすごいのであるが、もう見られへんのかな。

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坪庭は日当たりが悪いし、24日に降った雪がまだわずかに残っていた。

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奥の広間「松の間」からはうねうねした竜のような松「臥龍松」が臨める。こちら、初代は枯れてしまい、二代目であるが。その向こうには揚屋の必須条件である茶室が2つあり、奥の茶室は藪内家好みの茅葺き。が、烏が巣作りのために茅を抜きまくるそうで、ぼすぼすになってしもてると言うてはった。

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島原の東の大門。シンボルやった柳は枯れてしもてる。

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ちなみに西にも大門があったけど、車が2回も突っ込んで取り壊されたそうだ。
今は傍らにあった住吉神社だけがひっそり佇んでいる。

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公開はしていない置屋(太夫さんがいてはるとこ)の輪違屋。理事長は太夫と花魁の違い、島原と吉原の違いを熱く語っておられたが、文化財としてはそこをきっちり説明せんとあかんのやろね。一緒にされたら困る!なんやろう。何年かぶりに見学させていただいたが、何遍見ても名建築はええな。

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